和らぎ処

人知が及ばぬ大自然、旅で知る見聞、多様な趣味や興味への関心を強く覚える。

京都:晩秋の 寂光院

余りの好天に促され、京の都の晩秋の風情を楽しむべく、遅れ気味のガーデニング作業を脇に置き、ふらりと出かけてみた。

ドライブ中でも黄葉した山肌の景色を車窓越しに楽しむべく、琵琶湖大橋を西進し、琵琶湖西岸の比良山系を横切り、府県境の途中峠から若桜街道を南下して、訪れたのは大原~一乗寺一帯。日暮れ時までモミジの名所をのんびりと訪ね回った。

昨年も訪れた「三千院」は今年はスルー…し、まず最初に立ち寄った場所は天台宗の尼寺で知られる「寂光院」。

 

寂光院

山号は「清香山」、寺号を「玉泉寺」と称する。

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建立:推古2(594)年、聖徳太子が御父 用明天皇の菩提を弔うために建立。

初代住職聖徳太子の御乳母だった玉照姫(タマテルヒメ)―<548年に出家、日本最初の三比丘尼の一人>―以降、代々高貴な家門の姫君らが法灯を守り続けてきた。

第二代住職は「大原女」のモデル崇徳天皇の寵愛を受けた女官 阿波内侍(藤原信西の息女)が宮中から仕えていた寂光院へ出家後に第二代住職として入寺した当時の姿が今日伝わる「大原女」のモデルとされる。

第三代住職建礼門院徳子平清盛の息女 徳子高倉天皇中宮安徳天皇の母君)は、壇ノ浦で源氏に敗れ入水を図ったが救助され、やがて出家して文治元(1185)年に入寺し、平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔った。

再興に尽力:豊臣~江戸時代には、豊臣秀頼淀君徳川家康らが再興に尽力している。

火災:平成12(2000)年、発生した火災により、聖徳太子作と伝わる本尊「六万体地蔵菩薩立像」が焼損し、現在はその復元像が再建された本堂に安置されている。

庭園:本堂前西側の庭園は「平家物語」当時のまま… 本堂前北側の庭園は回遊式四方正面の庭。

※「建礼門院大原西陵」:本堂右手裏山に、珍しい五輪塔の仏教式御陵がある。

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建礼門院徳子大原西陵入口……立札に宮内庁とある。

 

訪れたのは11月29日(金)で、京の都の秋景色、寂光院ではそろそろ終盤近し…の秋色だった。

 

寂光院 境内 ◆

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ご神木 千年姫小松 (切株)

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建礼門院徳子大原西陵

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                                                                 (帰路 

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                   ( 参道

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                鳥居に囲まれていた…

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付近散策 ◆

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