源氏物語 宇治十帖の舞台宇治界隈の寺社巡り:③ 宇治上神社
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6月上旬の休日に、来客のご希望を叶えるべく久し振りに宇治へと車を走らせた。
お目当てのアジサイを愛でるために「三室戸寺」へ、宇治川畔に出ると「宇治神社」へ立ち寄り、その様子をそれぞれの既報に記した。その後、宇治神社にほぼ隣接する「宇治上神社」にも足を伸ばした。
激流の宇治川
とてもよく似た名前の両神社だが、宇治神社はとても簡素な神社であり、宇治上神社は宇治川を挟んだ平等院とともに宇治市で2ヶ所のユネスコの世界文化遺産として登録された「古都京都の文化財」(京都、宇治、大津各市の17ヶ所)を構成する神社である。
【 源氏物語 】
全五十四帖からなる「源氏物語」の、第四十五帖「橋姫」から最終の「夢浮橋」までの最後の十帖は宇治を舞台として描かれ、『宇治十帖』として知られる。
源氏物語の主人公光源氏が宇治十帖では光源氏の子・薫と孫・匂宮が主人公として描かれ、宇治川に架かる朝霧橋の宇治川畔には、その「匂宮と浮舟」像が建立されている。
来年の大河ドラマは『光る君』で、紫式部が描く世界最古で世界最長のラブストーリーの長編小説「源氏物語」がベースとなる。
放映が始まれば、宇治も大ブームが湧き上がるだろう。
【 宇治上神社 】
かつては地名の「宇治」は「菟道」(うさぎ道)と書いて「うじ」と称していたらしい。
この神社のご祭神「菟道稚郎子」(うじのわきらっこ)にも「菟」が用いられており、ウサギがお守りになっている。
うさぎ年生まれの方が参拝すれば強い御利益が得られるかも… 機会があれば是非お参りを…
(経緯)
明治以前には、宇治神社は「下社」、「若宮」と、宇治上神社は「上社」、「本宮」と称され、両社併せて「宇治離宮明神」、「宇治離宮八幡宮」と総称されていたが、明治期に、両社は分離されたようだ。
(境内建造物)
神社建築として最古であることから、本殿と拝殿は国宝に指定されている。
推定建築年代は、年輪年代測定法により、本殿は平安時代後期の1060年(康平3年)頃、拝殿は鎌倉時代前期の1215年(健保3年)頃と推測されている。
上:国宝・本殿 下:本殿(右)と拝殿(左)との距離
国宝・拝殿:正面(左)と背面(右)
拝殿:屋内
(本殿の内殿)
内殿は、左殿(向かって右)、中殿、右殿(向かって左)に分かれている。
中殿は左殿と右殿よりも規模が小さい。
左殿には菟道稚郎子命、中殿には応神天皇、右殿には仁徳天皇を祀っている。
内殿
(桐原水)
手水舎である。『宇治七名水』のうち、唯一現存する名水が境内に湧き、これを「桐原水」と称し、参拝者はお詣りの際に清めの手水として利用している。
桐原水舎
(境内)
鳥居
早蕨(さわらび)の古蹟
左端:駐車場 湾曲石畳路:さわらびの道 中央:表門
塀の内側から見た表門
武本稲荷社
武本大神碑
大樹けやき:樹齢約300年とか…
いろは紅葉
江戸時代までのこの神社の呼称から『離宮いろは』と名付けられたモミジ。
説明では、小さく分かれた葉の裂片を「いろはにほへと…」と数えたことが由来とか…
この神社、来年は、大河ドラマ旋風に巻き込まれるかも…
今回、立ち寄らなかったが、すぐ近くに「源氏物語ミュージアム」もある。
激流と化した宇治川のために通行止めとなっていた中州への「朝霧橋」を渡り、対岸への「橘橋」を渡れば十円玉の裏面のデザインにも取り入れられている「平等院」へも訪れられるが、今回は平等院に隣接する道路を走って通り過ぎただけ…
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